「Amazon返品」したくなる気持ち、わかる
瞑想をしていると、ふと、こんな気持ちになることがありました。
「結局、何も変わっていないんじゃないか?」
心は一時的に静まり、少し穏やかになったような気もするけれど、日常に戻れば、また同じような不安、怒り、焦りが押し寄せてくる。まるで、深呼吸してスッキリしたあと、また息苦しい場所に戻ってしまうような感覚。
瞑想は心のトレーニング、とよく言われるけれど、実際には「ただ座っているだけ」に見えるこの行為に、どこまで意味があるのか…?と疑問に感じていました。
“現実のしんどさ”から一時的に距離を置けることは確かだけど、それが逆に「現実逃避」になってしまっているようにも思えて。モヤモヤとした疑いが、心のどこかに残り続けていたのです。
そんな思いを抱えたまま、私はプラムビレッジの一日リトリートに参加しました。もし、この場所でもしっくり来なければ――そう思っていたのは正直なところで、心の片隅では「返品ボタン」に手をかけていたのかもしれません。
プラムビレッジでの体験と気づき
今回参加したのは、プラムビレッジの教えを愛知県豊田市のお寺で1日体験できるリトリートでした。静かな境内、緩やかなスケジュール、丁寧な言葉や動作のひとつひとつに、どこか海外のスピリチュアルなリトリートとはまた違う、親しみと深さがありました。
歩く瞑想の前、参加者が自由に手に取れるように小さなビジネスカードが並べられていました。表には大きく「100%」の文字。裏には「Peace in myself. Peace in the world.」というメッセージ。
それをそっと手に取ったとき、「100%、今、ここにいますか?」という問いが、自分の内側に静かに響いてきました。
このカードには、こんな由来があるそうです。
ティク・ナット・ハン師がイタリアでリトリートを開催した際、僧侶たちが街に出かける際には必ずこのカードを持っていくことが条件とされていたそうです。観光名所が多い賑やかな街の中でも、100%のマインドフルネスを保ち、「今ここ」にとどまり続けるために。このカードは、単なるお守りではなく、「今」に戻るためのスイッチだったのです。

実際に歩き始めてみると、「every step is a new step」という言葉の意味が徐々に実感として深まっていきます。同じ場所を歩いていても、足の裏が感じる感覚は毎回違っていて、それに気づくたび、「今この瞬間」に戻ってこられるのです。
そして何よりも心に残ったのが、「マインドフルネスとは“覚えていること”である」という教えでした。怒りや不安を感じたとき、それを無理に忘れようとするのではなく、覚えていて、でもとらわれずに、そっと手放す。
それは、ただ静かに座って逃げるための時間ではなく、自分自身とまっすぐ向き合う時間でした。
また、ある教えでは、月をお釈迦様に喩えることがあると聞きました。湖の水面に月が映るように、心が静まれば、内側の真実が見えるようになる。
湖の水面が波立っているときは月も乱れ、底も見えない。でも、瞑想によってその水面が静かになれば、心の奥に眠る気づきや静けさが、ふと顔を出す瞬間があるのです。
それはまさに、心の中にスペースが生まれるという体験でした。
変化とは苦しみから逃げないこと
リトリートで受け取った教えの中でも、特に胸に残った言葉があります。
**「変容(Transform)は、苦しみを認めることから始まる」**という言葉です。
私たちはどうしても、苦しみを早く終わらせたくて、簡単な道や“裏技”のようなものを探しがちです。もっと効果的な瞑想法、もっとすぐに楽になれる方法…でも、そうやって次々と方法を変えようとすること自体が、すでに「回り道」なのだということに気づかされました。
「今日のリトリートで学んだけど、自分には合わないかも」と思ったら、Amazonで返品するみたいにすぐにやめてしまう。けれど、ティク・ナット・ハン師の教えはそうした“即効性”の幻想とは、まったく別の方向を指していました。
印象的だったのは、「アーティスト・メディテーター・ウォーリアー(武士)」という3つの側面。
瞑想を実践する“静けさ”を持ちながらも、同時に困難に対して真正面から立ち向かう“武士”のような精神が必要だというのです。
たとえば、自分の内面に起こる怒りや悲しみにも、やさしく見守るだけでなく、そこから目を逸らさずにしっかり向き合う強さ。癒しとは、逃げ込む場所ではなく、戦うための場なのだと教えられているようでした。
この教えを通して私は、「瞑想=穏やかさ」だけではないことを実感しました。瞑想は、自分と向き合う“戦い方”を学ぶ訓練でもある。苦しみがなくなるのを待つのではなく、それを手に取り、受け入れ、それでもなお進むための力を養っていくプロセスだったのです。
それでも、今この一歩を歩む
リトリートの帰り道、「every step is a new step」という言葉を何度も反芻していました。
思い出されたのは、もうひとつの印象的な教え――
「水の上を歩くことが奇跡なのではない。地上を歩くことが奇跡なのだ。」
どんなに普通に見える一歩でも、その一歩を100%の意識で歩めること自体が、すでに奇跡。
スマホを見ながら、考えごとをしながら、未来や過去に心を奪われたまま歩いているとき、私たちはこの奇跡を通り過ぎてしまっているのかもしれません。
すぐに答えが出るものではないし、劇的な変化が起きたわけでもない。日常に戻れば、また同じような葛藤やストレスが顔を出すでしょう。だけど、不思議と「続けよう」と思えている自分がいます。
未来のどこかにある理想の幸せや、過去にあった一瞬の心地よさを追いかけ続けるのではなく、この瞬間に気づくこと、この一歩に幸せがあると信じること。
「幸せになりたかったら、幸せを殺せ」という言葉は、そんな今への目覚めを促してくれました。
Amazonのように、簡単に返品できるものではない。
けれど、だからこそ瞑想は、私にとって“本当に向き合うべきもの”になりました。
今日もまた、自分の足の裏に意識を向けながら、一歩を踏み出してみます。
その一歩が、戦いであっても、癒しであっても――すべては今ここにあるのです。
まとめ:問いとともに歩き続ける
100%、今ここにいますか?
リトリートで手に取った一枚のカードに書かれていたこの問いは、今も私の中で静かに響き続けています。
日常の忙しさや思考の渦の中で、私たちはすぐに「今ここ」から離れてしまいます。
未来を心配し、過去を引きずり、気づけば足元ではなく、頭の中ばかり見つめている。
けれど、マインドフルネスはいつだって立ち戻る場所。
怒りも、不安も、逃げることなく覚えている。そして、とらわれることなく、そっと手放していく。
それは簡単なことではないけれど、ほんの一瞬、ほんの一歩でもそれができたとき、
自分の中にスペースが生まれるのを感じます。
月が静かな湖面に映るように、私たちの心が静まったとき、初めて見えてくるものがある。
その気づきは、小さな奇跡です。
もしあなたがもう一度そのカードを手に取るなら、
もう一度、歩く瞑想をしてみようと思えたなら――
その時の“今”は、きっと前とは少し違って見えるはずです。
答えはいつも外にはなく、「今この瞬間」の中にあります。
問いを抱えたままでもいい。
大切なのは、その問いと一緒に、一歩を踏み出し続けること。
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