「運・鈍・根」やなせたかしさんの場合

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
むさし先輩

曲が違わねぇか!?

みっちゃん

素敵な歌詞ね

お兄さん

曲が変わっても、
メッセージは普遍ですな

むさし先輩

兄ちゃんは、
いちいち、高尚だよな

アンパンマンのマーチを聴きながら、いってみましょー

目次

やなせたかしさん

ご本人曰く、『自分は大器晩成でなく、小器晩成だよ』とのこと。
漫画家として独立した後、舞台演出、詩の雑誌編集、絵本作り、テレビ出演と、いろんな仕事をやっていきましたが、
漫画家としては、自分の代表作がないことに悩み、天才・奇才がひしめく当時の漫画界で後輩がブレイクしていく姿を眺めてたんだとか。
アンパンマンがブレイクするその日まで。

満員電車に乗り込み、あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら、
あるとき目の前の席が空いた。

それは、69歳のときでした。

諦めないで一つのことを思いを込めてやり続けていると、
ちゃんと席が空いて、
出番がやってくるものなんだ。


やなせたかしさんのご略歴

  • 1919年 (0歳) – 2月6日、東京府北豊島郡滝野川町で誕生
  • 1924年 (5歳) – 父・清が中国で他界
  • 1926年 (7歳) – 母の再婚により伯父の家に引き取られる
  • 1937年 (18歳) – 東京高等工芸学校図案科に入学
  • 1939年 (18歳) – 田辺製薬宣伝部に入社
  • 1940年 (21歳) – 徴兵され、日中戦争に出兵
  • 1945年 (26歳) – 中国から帰国
  • 1947年 (28歳) – 上京し結婚。三越に入社
  • 1953年 (34歳) – 三越を退職し、専業漫画家として独立
  • 1962年 (43歳) – 「手のひらを太陽に」発表
  • 1969年 (50歳) – 「アンパンマン」発表
  • 1988年 (69歳) – テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」放送開始
  • 2011年 (92歳) – 東日本大震災を機に生涯現役宣言
  • 2013年 (94歳) – 10月13日、永眠

運・鈍・根

この世界は「運・鈍・根」なんです。

「運」がよくなくちゃいけない。
「運」は自分で掴まなくちゃいけない。

あまり器用に、なんでも簡単にできるっていうんじゃなく、いくらか「鈍」であって。

あと大事なのは「根」。
根気よくやらなくちゃいけない。

「運」まかせか・・・って、思いましたよね?
わたしも、「運」の悪さには自信がありますw
それに、生存者バイアスだろ、とも思います。
だけど、諦めないで続けることしか、ないなって。

運をつかむには、自分のやりたいことをずっと継続して、やめないこと。
「継続は力なり」と同時に、
「継続は運」
自分自身も、世にも出なくとも、代表作がなかなか描けなくても、
黙々と漫画を描き続けてきた。

チャンスの神様には前髪しかない
って、よく言いますよね~

むさし先輩

チャンスは前からしか掴めないぞ!
通り過ぎたら、後ろからは掴めないんだからな!


自分自身を振り返っても、次の機会にしよって思うと、そんな機会は二度と訪れなかったこと多々(涙)
いつ訪れるか分からなくても、続けていないと掴めないとなると、
好きなことしか続けられんですわな。

好きなことといえば、養老孟司さんのこんな動画がありますね。
『好きなことをするのに一番大事なことは何か』

『やらなきゃいけないことは、好きになるしかない。
本当に好きかどうかなんて、吟味している暇はないんだから。』

むさし先輩

横道にそれ過ぎじゃねぇか!?

戦うのをやめたとき

人生の後半に差しかかったころ、
戦うのはやめて、
自分が好きなもの、
描きたいものに集中しようと思うようになった。

すると、不思議なことに、
その頃から、アンパンマンが注目されだし、すごく楽になった。

やなせたかしさんとは関係ないですが、
先日、東京都美術館で「田中一村展」を観てきましてね。

むさし先輩

また、横道だよ・・・


たまたま、東京へ行く機会があって、久々に美術館でも行こうかなって思ったんです。

田中一村さん(1908-1977)のことは存じ上げなかったのですが、
たまたま、開催されてたんで、
たまたま、行ってきました。

幼いころから絵の才能に恵まれ、神童と呼ばれるも、ブレイクせず、
一度も個展を開くことなく、旅立っていかれたとのこと。

そんな彼が、母校の東京藝術大学のお膝元、上野公園にある東京都美術館で展覧会。
もう、これだけで、グッときますよね~
約50年、半世紀ですよ。

彼の作品を通して彼の人生を追体験してきたわけですけれども。
様々な手法を学び、藻掻き、苦しんだであろう様子を、のぞき見してきました。
ここまで救われない(と私が勝手に感じてる)ときの気持ちって、どんなんだろう?
と、苦しくなったのはいうまでもないですね。

だがしかし!

奄美大島に移住してからの作品を並べた展示室に入った瞬間、
「ああ、救われたんだな」
って感じたんです。

何か、憑き物が落ちたというか、受け入れたというか、戦うのをやめたというか。
繋がりましたね(*`艸´)ウシシシ

奄美大島で描いた作品には、それまでに培ってきた様々な技法が取り入れられ、
人生に無駄なことってないんだなと思わされる描きっぷりでした。
まさに、水を得た魚状態!
存命中に画家としてブレイクすることはありませんでしたが、
確かに、そこには、『田中一村』の命が輝いていた、と記しておきます。

人生にムダなことは、何一つありません。
全部、自分に役立つ、
そして、やり続けることが大事。

この、やなせさんの言葉にも通じますね。
よし、繋がった(〃艸〃)ムフッ

若干の横道脱線と、YouTubeで分量を稼いでるのでは?疑惑もありますが、
今回は、「運、鈍、根」という言葉を紹介してみました。
同時代を駆け抜けたお二方でしたが、いかがでしたか?
自分にとって、“救われた状態とはなにか”問うてみたいです。

FX人生の、何かのヒントになれば、幸いです。

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか

参考

やなせさんが、どんな人生を歩んでこられたのか、気になった方は以下のリンク先をチェックしてみてください。
おすすめはYouTubeです。

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